流祖

不二流体術開祖 古賀 不二人

流祖1

昭和30年(1955年)3月6日。 この日が開祖・古賀不二人が「不二流体術」を創始した日である。 数えて平成27年(2015年)の今年が60年目になる。 清廉潔白と言う言葉がそのままあてはまる大人物であった。 戦争中は海軍の軍人として活躍。 戦後、合気道開祖・植芝盛平の甥・井上鑑昭(親英体道・開祖)のもとで稽古を重ね代稽古を務める。親和会の代表となる。昭和25年より警察予備隊(後の保安隊→陸上自衛隊)発足と同時に横須賀市に於いて指導。横須賀市警察署に於いて指導。大阪警視庁に於いて指導。金沢市警察署に於いて指導。海上保安大学校に於いて指導。舞鶴海上保安学校に於いて指導。呉海上保安学校に於いて指導。徳島市警察署に於いて指導。昭和30年3月6日に「不二流体術」を創始する。海軍中尉であった古賀不二人は海軍中将であった久邇宮朝融王(くにのみや あさあきらおう) に大変可愛がられていた事もあり、久邇宮朝融王の妹である香淳皇后の誕生日である3月6日に不二流体術を創始した。最高顧問・八木不動(柔気流・開祖)と家族ぐるみで付き合い、兄弟の様な間柄であった。 平成3年に第二代宗家に継承し、36年間務めた宗家より名誉顧問となる。 古賀不二人は平成9年11月23日に89歳で永眠。 開祖・古賀不二人師の命日を忘れぬために毎年11月23日に、福岡の護国神社にて第三代宗家・大嶋竜太郎が演武会を平成14年より開催している。 古賀不二人と八木不動が初めて出会った場所が福岡県護国神社であった。武人・古賀不二人の名前は、不二流と共に新しい世紀へと伝えられて行く。

不二流体術 最高顧問 八木不動(現・柔気流宗家)

流祖2

昭和2年生まれ。幼少より、講道館柔道を修行する。 同時に合気道開祖・植芝盛平氏の直弟子となって修行する。 32歳にて独立し、福岡の地に柔気流の道場を開く。 柔気流とは自身が学んだ、講道館柔道の「柔」の字と、合気道の「気」の字をとって名付けられた。 道場看板に「道場破り大歓迎」と書き、実際に道場破りに来た者を次々と病院送りにしたのは有名な話。 極真空手・創始者の大山倍達氏に「果たし状」を送り付け断られている。 弟子には数々の各界の著名人が多く、タレントのタモリ氏もその一人である。 不二流体術の開祖・古賀不二人と家族ぐるみで兄弟のような付き合いをしていた。技術交流も盛んに行われていた。 福岡において、不二流体術・第三代宗家・大嶋竜太郎に、その技を伝える。「今・武蔵」と言われた技は秘かに伝えられている。 書、画の腕はかなり高く評価され、公共の公園の碑や橋のたもとの文字などや、一部上場企業の賞状などは一手に引き受けている。サントリーの「山崎」など。昭和の時代に生きた数少ない「武人」の一人である。平成25年5月逝去。

一位流合気古武道・親和体道 開祖 井上鑑昭

井上

井上鑑昭(いのうえ のりあき、明治35年(1902年)12月3日-平成6年(1994年)4月13日)は、 一位流合気古武道、親和体道(親英体道)の創始者である。合気道の開祖植芝盛平は叔父にあたる。 和歌山県田辺郡秋津村 現在の和歌山県田辺市)に生まれる。10歳の時に講道館柔道の高木喜代市に師事し柔道を習い始める。 植芝と共に、鎌倉時代より伝わる家伝の柔術を基礎とした新たな合気武術を相生流として教授し始める。野見宿禰の末裔である菅原道真が「平法学」を記す。その「平法学」が井上鑑昭の家に鎌倉時代より伝わり表に出ることなく代々伝承され秘匿されてきた。井上鑑昭の代で指導を始め、初めて世に出る事となる。「一位さん」と呼ばれていた事から「一位流」と名付ける。昭和21年(1946年)に『一位流合気古武道』から『親和体道』と改める。(後に『親英体道』と改名)その後も親英体道の開祖として活動し、平成6年に東京都国立市の自宅にて死去する。享年91。昭和の名人と言われた一人である。不二流体術のシニア・ビギナーズクラスでは一位流合気古武道を中心に指導している。